大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和61年(あ)517号 決定 1989年5月23日

本店所在地

東京都新宿区新宿二丁目三番一三号

善本産業株式会社

右代表者代表取締役

善本信一

本店所在地

大阪市北区兎我野町一五番一三号 ミユキビル三F

日環アルミニウム工業株式会社

右代表者代表取締役

呉城正男

本店所在地

東京都渋谷区恵比寿二丁目二七番一四号 ヴィラ清水五〇二号室

栄進商事株式会社

右代表者代表取締役

善本孝

本店所在地

東京都豊島区東池袋三丁目九番六号

株式会社エクステリア日環

右代表者代表取締役

猪口勝己

本店所在地

横浜市中区蓬来町一丁目一番三号

日環住機設備株式会社

右代表者代表取締役

善本孝

本店所在地

東京都新宿区新宿二丁目三番一三号

株式会社日環

右代表者代表取締役

星山金永

本店所在地

宇都宮市今泉四丁目一二番九号

日環アルミ建材株式会社

右代表者代表取締役

中野健一

本店所在地

東京都豊島区南池袋二丁目一三番八号

日環住機株式会社

右代表者代表取締役

星山金永

国籍

韓国

住居

横浜市旭区希望が丘二一七番地の四

会社役員

全炳城

一九四八年一〇月一七日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和六一年三月一九日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人系光家、同高田治、同渡辺敏久、同古屋俊雄、同古屋倍雄の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余は、違憲(一四条、三一条、三八条一項、三九条)をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 坂上壽夫)

昭和六一年(あ)第五一七号 法人税法違反被告事件

第三小法廷係属

○上告趣意書

被告人 善本産業株式会社

(右代表者代表取締役 善本信一

星山金永)

日環アルミニウム工業株式会社

(右代表者代表取締役 呉城正男)

栄進商事株式会社

(右代表者代表取締役 善本孝)

株式会社エクステリア日環

(右代表者代表取締役 猪口勝己

猪口多久真)

日環住機設備株式会社

(右代表者代表取締役 善本孝)

株式会社 日環

(右代表者代表取締役 芳野徹夫)

日環アルミ建材株式会社

(右代表者代表取締役 中野健一)

日環住機株式会社

(右代表者代表取締役 星山金永

坂東裕一)

全炳城

右の者に対する法人税法違反被告事件についての上告趣意は次のとおりである。

昭和六一年八月二七日

主任弁護人 系光家

弁護人 高田治

弁護人 渡辺敏久

弁護人 古屋俊雄

弁護人 古屋倍雄

最高裁判所

第三小法廷御中

なお、この上告趣意書では被告各会社名については「株式会社」を省略し、被告人全炳城を「被告人全」と、相被告人山口敦男を「相被告人山口」と称することとする。

目次

第一点 原判決は、憲法三一条に違反し、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑事訴訟法四〇五条に該当するので、同法四一〇条により破棄されるべきである。

――会社の簿外資金の貸付利息の帰属と簿外資金の利用の有無について―― 一頁

第二点 原判決は、憲法三八条一項の解釈を誤り、同項に違反し、かつ憲法三一条及び三九条に違反している。これらは判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑事訴訟法四〇五条に該当するので、同法四一〇条により破棄されるべきである。

――査察調査着手の一年も前に一般調査により修正申告と納税を済ましている事案を処罰することについて―― 一九頁

第三点 原判決は、憲法一四条及び三一条に違反し、かつ、最高裁判所判例及び大審院判例と相反する判断をしたもので、その違反及び判断が判決に影響を及ぼすことは明らかであり、刑事訴訟法四〇五条に該当するので、同法四一〇条により破棄されるべきである。

――被告人全に罰金を併科したことについて―― 四六頁

第四点 原判決は、第一審判決の重大な事実誤認が判決に影響を及ぼすものでない旨判示しているが、これは憲法三一条に違反し、刑事訴訟法四〇五条に該当するので、同法四一〇条により破棄されるべきである。

――被告人全を共同商事及び装美の代表取締役であったと誤認したことについて―― 六八頁

第五点 第一審判決が被告人全に科し、原判決が支持した量刑は、甚しく不当であり、刑事訴訟法四一一条二号により破棄されるべきである。

――被告人全に対する量刑の不当について―― 七八頁

第六点 第一審判決が被告各会社に科し、原判決が支持した罰金刑の量刑は、甚しく不公平、不当であり、刑事訴訟法四一一条二号により破棄されるべきである。

――被告各会社に対する量刑の不当について―― 九三頁

第一点 原判決は、憲法三一条に違反し、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑事訴訟法四〇五条に該当するので、同法四一〇条により破棄されるべきである。

第一審判決は、脱税によって蓄積した簿外資金の一部を被告人全が自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得ていたと述べて、簿外資金の貸付利息が被告人個人に帰属したものと認定し、それを根拠に簿外資金を主として被告人個人が利用していたものと判示し、ひいては脱税の動機ないし目的に関する被告人の供述まで排斥しているが、これは証拠もないのに、脱税犯の犯情を認定するに際し、最も重要な情状に属する事実を誤認したものである。

原判決は、右のような控訴趣意を理由がないとしてしりぞけているが、原判決のこの判示は、以下のとおり刑事訴訟法三九二条一項、三九七条一項及び四〇〇条並びに憲法三一条に違反するもので破棄されるべきである。

一 第一審判決の内容

第一審判決は、「本件脱税により蓄積された簿外資金の大部分も同被告人個人名義の債権や仮名・無記名預金等として管理され、しかもその一部については同被告人が自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得ていたものであり、本件脱税により蓄積された資金は、主として同被告人によって利用されていたものと認められる。」と判示している(第一審判決二九丁)が、この判示の結論部分である「本件脱税により蓄積された資金は、主として同被告人によって利用されていたものと認められる」という判示の最大の根拠が「しかも簿外資金の一部については同被告人が自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得ていた」という認定にあることは判文の文理上明らかである。

そして、「同被告人が自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得ていた」との叙述は、第一審判決が、「簿外資金の一部を会社による会社のための貸付でなく、被告人全個人による個人のための貸付に使用し、その利息収入を会社の収入にいれないで、自己の収入とした、即ちその利息収入に係る所得を自己に帰属させた。」と認定していたことを示すものであることは以下の諸点からみて明らかである。

(一) 文脈からみて明らかである。

簿外資金を貸付けてその利息収入を会社のものとしていた場合は簿外資金を個人が利用したことにはならない。簿外資金だからといって現金で保管しなければならないものでなく、預金や債券へ運用するのは善良な管理者としては当然のことであり、有利であれば貸付金に運用しても何ら差支ないもので、簿外資金の管理、運用が会社のためであるならば、簿外資金を個人が「利用した」ことにはならないから、第一審判決が簿外資金を被告人全が「利用した」といっている以上右の「多額の利息収入を得ていた」というのは、利息収入を被告人全個人に帰属させたという意味にしか解されない。

(二) 判決の他の部分との関連からみて明らかである。

第一審判決は、第三一丁の裏で「被告人炳城は自己の所得の不正申告分についても、自発的に修正申告をし、国税及び地方税をともに完納している」と述べているが、ここでいう被告人炳城の「自己の所得の不正申告分」というのは、前述第一審判決二九丁でいう多額の利息収入をそれが発生した年の自己の所得として申告していなかったことを指すものであり、「自発的に修正申告をした」とは昭和六〇年二月一三日に右貸付利息についてした修正申告のことを指しているものであることは、第一審の裁判の経緯(そもそも、この貸付利息については、第一審においては、検察官は冒頭陳述で述べたこともなく、また、それに関する検面調書も存在しない。被告人全はこの貸付利息については検察官の取調べを受けていない。この件は、第一審の検察官による立証段階が総べて終了した後昭和六〇年二月六日(第七回公判)の被告人質問の段階で初めて検察官から被告人全に対し質問があり、その中で被告人全は「日環グループの簿外資金の一部を貸付金に運用して利息収入を得たが、それはその都度簿外資金に繰入れていたので、その利息は会社のものと思っている。しかし、簿外資金そのものが会社別に区分されていなかったため利息の帰属も会社毎に区分できない。従って、この利息に係る税金については、本来会社毎に区分して法人税として納付すべきものであるが、会社毎に明らかに区分できなくしてしまった責任が自分にあるので自分の所得税という形で納税を済ませたい」という趣旨の供述をし(第七回公判供述調書一三二丁)、被告人全は、この供述に沿って、昭和六〇年二月一三日に右貸付利息についての所得税の修正申告書を所轄保土ヶ谷税務署に提出したものである《第九回公判供述調書二三九丁、その他関係証拠は第一審で証拠調済》。)に照らして明白である。

以上のとおりであって第一審判決は、右の貸付金利息が被告人全個人の所得である旨認定していることは明らかである。

(三) 検察官の論告との関連からみて明らかである。

そもそも、第一審判決の右判示は、検察官の論告の趣旨をほとんどそのまま採用しているものであるが、検察官は論告の中で、「永年の脱税によって得た多額の簿外資金のほとんどは、同被告人において混合管理し、あまつさえ、その一部を同被告人の簿外貸付金に回して多額の利息収入を得ていたものであって、脱税による利益を享受していたのはひとり被告人全炳城のみであると言うべきであり」と述べている(論告要旨三頁)が、右論告文中「多額の簿外資産の一部を被告人の簿外貸付金に回して多額の利息収入を得ていた」とはその中で「被告人の簿外貸付金に回して」といっている以上「会社の簿外資金の一部を自己のための貸付金に回しそこから生ずる多額の貸付金利息を自己に帰属させた」という意味であることは明らかであり、前記第一審判決の判示がこの検察官の主張の表現を若干変えただけで、ほとんど同趣旨であることに疑問の余地はなく、第一審判決が、会社の簿外資金の貸付利息を被告人全個人に帰属させたと認定していることは明白である。この検察官の論告自体前記(二)で述べた第一審裁判の経緯に照らすと証拠に基づかないものであるが、第一審判決は、証拠関係を十分に検討することなく安易に検察官の論告の主張を採用したものである。

(四) 以上要するに、第一審判決の判示中「多額の利息収入を得ていた」というのが、「多額の利息収入を被告人全個人に帰属させていた」という意味であることは明らかである。

二 控訴の趣意

(一) 会社の簿外資金を貸付に運用した事実及び当該貸付に伴い利息収入があった事実は認めるがそれが個人貸付でありその利息収入が被告人全個人のものになったという証拠はない。そのような事実は存在しない。従って、簿外資金を被告人全個人が利用したという事実も存在しない。

(二) 凡そ脱税事件において、脱税の動機ないし目的と脱税によって作られた簿外資金を如何に管理し、運用ないし使用したかということは、脱税犯の犯情を認定するうえできわめて重要な事項であるが、第一審判決は、このような重要な事項について、証拠に基づかないで、被告人全にとってきわめて不利な誤った認定をしたもので、これは、情状に属する事実の重大な誤認であり、かつ刑事訴訟法三一七条に違反する手続の法令違反であるから、破棄されるべきであるというのがこの点に関する控訴の趣意であった。

三 原判決の内容とそれが憲法三一条に違反することについて

(一) 原判決は、右のような控訴の趣意を歪曲している。その結果正しい控訴趣意についての調査と判断を行なっていない。

すなわち、弁護人は、控訴趣意書において、第一審判決が、前述のとおり、日環グループの「簿外資金の貸付利息」を被告人全が自己個人に帰属させたと認定し、その認定を根拠に「簿外資金そのもの」を主として被告人全が「利用した」と判示していることを指摘し、「貸付利息の帰属」を問題にしているのに、原判決は、右「貸付利息の帰属」の問題を避けてこれを「簿外資金そのもの」の問題にすりかえ、弁護人において、「簿外資金そのもの」について、「第一審判決の『同被告人によって利用された』という判示を、『同被告人の個人的な利益のために費消された』という趣旨ないし『同被告人の個人的な利益に帰属した』という趣旨に解してこれを避難するもののようである。」と述べている(原判決一三丁裏)。

控訴趣意書はそのような趣旨を全く述べていない。

原判決は控訴趣意を歪曲したのである。

原判決自身、控訴趣意書の趣旨として、「蓄積された簿外資金が同被告人の個人貸付の資金にされ、その利息が同被告人に帰属したという証拠はなく、したがって本件脱税により蓄積された資金が主として同被告人の利益のために利用されたという証拠もないから、原判決は同被告人の情状に関する重要な事実を誤認したものである」と述べて(原判決一〇丁の裏から一一丁)控訴の趣意を正確に把握したにもかかわらず、控訴趣意の検討及び判断の段階で、わざわざ控訴趣意を歪曲したものである。

そして、このように控訴趣意を歪曲することによって正しい控訴趣意の調査と判断を全く行なっていない。

(二) 原判決はさらに、第一審判決の内容を改変している。その結果、控訴趣意書に含まれている事項についての調査と判断を行なっていない。

すなわち、第一審判決が「しかもその一部については同被告人が自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得ていたものである」(第一審判決二九丁裏)と述べており、この多額の利息収入を得ていたというのが、前記一で指摘したとおり、利息収入を被告人個人に帰属させたものと認定したものであることは明らかであるのに原判決は、第一審判決の「本件脱税により蓄積された簿外資金の大部分も同被告人個人名義の債権や仮名・無記名預金等として管理され、、、、、(、、、印弁護人。以下において同じ。)しかも、、、その一部については同被告人が自己の個人貸付、、、、、、、の資金にまわして、、、、多額の利息収入を得ていた、、、、、、、、、ものであり、本件脱税により蓄積された資金は、主として同被告人によって利用されていた、、、、、、、ものと認められる。」との判示は「本件脱税によって蓄積された簿外資金の大部分が被告人全によって個人的に管理され、、、、、、、、、その一部については、同被告人個人の名義で貸付けて利息収入を得、それらも同被告人が個人的に管理していた、、、、、、、、、、こと」を意味するものと判示して(原判決一三丁)、以下に述べるとおり、第一審判決の内容を改変し、その結果控訴趣意書で指摘したような判示を第一審判決が行なっていないかの如く強弁することにより、控訴趣意書で指摘した事項についての調査と判断を全く行なっていない。

1 第一審判決が「簿外資金の大部分も同被告人個人名義の債券や仮名・無記名預金等して管理され」と述べたところを原判決は「簿外資金の大部分が被告人全によって個人的に管理され」と修正しているが、「個人名義の債券や仮名・無記名預金等として管理された」ということと「個人的に管理された」ということは同義ではない。

個人名義の債券や仮名・無記名の預金等の形態をとっていたが、あくまでも会社の資産を、会社の代表取締役又は実質経営者の立場で管理していたもので、名義がどうであったかということと、管理の質が個人的か公的かということとは異質の問題であって、個人名義や仮名・無記名のものがあったからといって管理そのものを「個人的管理」と断定するのは根拠がない。

原判決が第一審判決の内容を改変していることは明らかである。

2 さらにまた、第一審判決が「しかもその一部については、同被告人が自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得ていたものであり」と述べている部分を原判決は「その一部については同被告人個人の名義で貸付けて利息収入を得、それらも同被告人が個人的に管理していた」と修正している。つまり、第一審判決の「自己の個人貸付の資金にまわして」という部分を「個人の名義で貸付けて」と修正しているが、「個人貸付の資金にまわす」ことと、「個人の名義で貸付けること」は同義ではない。

そもそもこの貸付は日環グループの代表者の立場で善本産業の社長室で行なわれていたもので「個人の名義」で貸付けたものは一件もない。

第一審判決は、「貸付の性質」を問題にして、証拠もないのに、それを「個人貸付」と断じたのであって「貸付の名義」には触れていない。捜査当局も第一審裁判所も貸付が誰の名義で行なわれたかを調査していないからである。

原判決は、第一審判決が「個人貸付」と断じ、その結果そこから得られる貸付利息が個人に帰属することになる旨を示しているのに対し、「個人貸付」を「個人の名義で貸付けた」と改変することによって、貸付利息の帰属の問題をあいまいにしたのである。

そして「多額の利息収入を得ていた」という部分を「利息収入を得それらも同被告人が個人的に管理していた」と修正しているが、第一審判決は、「多額の利息収入を被告人全個人の所得とした」旨判示していること前述のとおりであって、「個人的に管理していた」などとあいまいなことを言っているのではない。

要するに原判決は、貸付利息の帰属のことには第一審判決が触れていないようにするために、そしてその問題についての自らの調査と判断を避けることができるようにするために、第一審判決の内容を改変したのである。

3 弁護人は、控訴趣意書において「被告人全が会社の簿外資金を自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得、それを自己に帰属させたという事実は存在しない」ということを強く主張しているのであるが、この指摘した点、つまり、貸付利息の帰属の問題を全く取り上げることなく、原判決は、第一審判決の判示は「会社の簿外資金を個人名義で貸付け、得られた利息を個人的に管理した」という趣旨に過ぎない旨、すなわち、「会社の簿外資金を被告人全の個人貸付の資金にまわして多額の収入を得、それを被告人全個人の所得とした」という趣旨のことは判示していない旨述べることによって、利息収入が被告人全個人に帰属するものか会社に帰属するものかの判断を行なわないこととしたのである。

控訴趣意書で指摘したとおり、会社の簿外資金を貸付けたのが個人貸付であり、その利息が被告人全個人に帰属したという事実は存在しないのであるが、原判決は、第一審判決の内容を改変することにより控訴趣意に対する調査と判断を避けたのである。

(三) さらに原判決は、第一審判決の「本件脱税により蓄積された資金は、主として同被告人によって利用されていた」という判示は、「脱税による多額の金員を簿外資金として蓄積しこれを管理運用したのが同被告人である」という趣旨に解し得るのであるから、原判決の認定・判断に非難すべきところはないと判示している(原判決一三丁の裏)。

しかしながら、以下に述べるとおり、右第一審判決の判示を右原判決のような趣旨に解することは不可能であり、原判決の判示は、要するに、強弁によって、第一審判決の事実誤認を隠蔽しようとするものに過ぎない。

1 第一審判決は、「しかも簿外資金の一部については同被告人が自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得ていた」という認定を最大の根拠にして、「本件脱税により蓄積された資金は、主として同被告人によって利用されていた」と判示したのであって、「脱税による多額の金員を簿外資金として蓄積したこと」や「これを被告人全が管理運用したこと」をもって「会社の簿外資金を被告人全が利用したことになる」などという判示はしていない。

2 脱税をすれば簿外資金が生ずることは当然のことであって、「簿外資金として蓄積したこと」と「簿外資金を利用したこと」とは全く異質のことがらである。

3 また、簿外資金を被告人全が管理、運用したからといって、それを被告人全が利用したことにならないことも当然である。被告人全は、日環グループ各社の代表取締役か実質経営者であったのであるから、簿外資金の管理、運用を自ら行なっただけであって、若し自ら行わないとすれば、部下の誰かに行わせたわけであり、部下に行わせないで自らこれを行ったからといって、その簿外資金を「利用」したことにはならない。

4 要するに原判決は、控訴趣意書で指摘した第一審判決の情状に関する重大な事実誤認、即ち「被告人全が会社の簿外資金の一部を自己の個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を得、これを自己のものとしたのであるから、会社の簿外資金を利用したものである」という趣旨の第一審判決の判示を第一審判決になかったかのように強弁することによって、第一審判決のきわめて重大な事実誤認、しかも弁護人が控訴趣意書で強くしている事実誤認を隠蔽しようとしているものである。

(四) (一)、(二)、及び(三)で述べたとおり、原判決は、まず、弁護人の控訴の趣意を歪曲し、次に控訴趣意書で指摘した第一審判決の事実誤認を、そもそも第一審判決がそのような事実について触れていなかったかのように第一審判決の内容を改変している。その結果として、控訴趣意書で指摘した事項についての調査、判断を全く行っていない、このことは刑事訴訟法三九二条一項に違反する。

あるいは、このような原判決の判示は、控訴趣意書で指摘した事項に理由があることすなわち、被告人全は、簿外資金の貸付利息を自己のものとした事実はない、従って会社の簿外資金を利用したこともないということを認めているとも解される。何故ならば、若しも、第一審判決の判示のとおり、被告人全が会社の簿外資金を貸付けてその利息を自己のものとしたという証拠があるならば、それを示して、弁護人の主張をしりぞければよいのであって、原判決のように、控訴趣意を歪曲したり、ほしいままに、第一審判決の内容を改変したりする必要はないからである。若しもそうだとするならば、原判決は破棄自判の手続によらず、第一審判決の内容を改変したものであって、刑事訴訟法三九七条一項及び四〇〇条に違反する。

右のように、およそ、一面において控訴趣意書の内容を歪曲し、他面において控訴趣意書で指摘した第一審判決の事実誤認に係る判示を改変して、控訴趣意書の指摘した事実は第一審判決に無かったかの如く判示するという手法により、控訴趣意書で真に指摘した事項について適正に調査及び判断を行なわないというような手続の法令違反、審理不盡は重大であって、控訴審としての機能を果たさず、被告人及び弁護人の控訴権を実質的に否認するに等しいものであり、断じて容認できないものである。正当手続を保障する憲法三一条に違反することは明らかで破棄されるべきは当然である。

第二点 原判決は、憲法三八条一項の解釈を誤り、同項に違反し、かつ憲法三一条及び三九条に違反している。これらは判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑事訴訟法四〇五条に該当するので、同法四一〇条により破棄されるべきである。

一 第一審判決は、日環アルミニウム工業の昭和五七年二月期について、一億二〇〇万円の架空賞与を計上し、その四二パーセントに当たる法人税四二八四万円を脱税したことを刑罰の対象としているが、これは査察調査が着手される一年も前に、所轄税務署の一般調査に際し自供し、修正申告と納税を済ましている事項を処罰するもので、以下に述べるとおり法人税法一五六条並びに憲法三八条一項及び三一条に違反する。

(一) 憲法三八条一項の法意が、「何人も自己の刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したもの」であることは最高裁判所の確立された判例である。(昭和二七年(あ)第八三八号、同三二年二月二〇日大法廷判決、刑集一一巻二号八〇二頁)。

一方、法人税法一五三条に基く質問検査権行使の主たる目的が法人税の納税申告についての過少申告の有無及び過少申告があった場合、それが単に過少申告加算税(国税通則法六五条一項参照)を課すべき事案なのか、それともさらに仮装又は隠蔽の行為があったものとして重加算税(国税通則法六八条一項参照)を課すべき事案なのかを明らかにすることにあることは疑問の余地はない。而して過少申告をするに当り仮装又は隠蔽の行為があった場合は、おおむね法人税法一五九条にいわゆる「偽りその他不正の行為により法人税を免れた行為」に該当することになり脱税の犯罪であるとされるのである。つまり、仮装又は隠蔽の行為があったか否かを調査することは犯罪事実に該当する事実があったか否かを調査することであり、重加算税を課される程の過少申告をしている旨を供述することは同時に自己の刑事責任を問われるおそれのある事実を供述することにもなるわけである。しかも、同法一五三条の質問検査権の行使に対し虚偽の事実を述べた場合は、同法一六二条により処罰されることになる。従って、同法一五三条の規定は、正に自己の刑事責任を問われるおそれのある事項につき供述を強要する規定となるわけであるが、最高裁判所はこの点について、憲法三八条一項の「規定による保障は純然たる刑事手続以外においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続にはひとしく及ぶものと解するのを相当とする。」としながら右法人税法等の規定による質問検査はこのような作用を一般的に有する手続ではないから、これらの質問検査権の「規定そのもの」が憲法三八条一項にいう自己に不利益な供述を強要するものとすることはできないとしている(昭和四四年(あ)七三四号、同四七年一一月二二日大法廷判決、刑集二六巻九号五五四頁)。

「規定そのものは違憲ではない」ということは、いわゆる規定違憲ではないが、適用違憲すなわち規定が実際に適用される場面で違憲状態を招来するおそれのあることを示唆しているものと解される。

思うに、公平な納税を確保するためには税務官庁による税務調査が必要であり、税務調査を実効のあるものにするためには罰則による間接強制も必要になるわけで、現行の法人税法の質問検査権の規定そのものが違憲でないということに敢えて異を唱えるものではない。

しかしながら、質問検査権の規定が憲法三八条一項の下に合憲として存続し得るのはそれが課税目的に使用される限りにおいてであって、この規定により自供された事実については、後で、刑事手続によって確認されたからといって(法人が多額の修正申告をしたことは法人税法一五二条による公示によって公知の事実となるものであり、一旦自供した事実が確認されることは当然である。)、それを刑事罰の対象としたのでは、結局は、強要によって供述された事実につき刑事責任を追及することになるわけでこのような状況をそのまま放置したのでは、憲法三八条一項は納税者の人権に関しては結局死文となるわけである。

従って、法人税法一五三条に基く質問検査権の行使に対して供述された自己の刑事責任を問われるおそれのある事実は、憲法三八条一項の規定により刑事免責を受けるものとして、あくまでも課税目的の範囲内に止められるべきであって、これを刑事罰の対象にすることは同項及び正当手続を保障する憲法三一条に反する。

(二) 被告人全が、日環アルミニウム工業の昭和五七年二月期において一億二〇〇万円の架空賞与を計上したことを同年一〇月頃から行なわれた所轄北税務署の税務調査の最終段階において認める供述をしていることは明らかである(被告人全の昭和五九年一二月一日付検察官に対する供述調書四七、四八丁、相被告人山口の昭和五九年一一月三〇日付検察官に対する供述調書三一、三二丁並びに同調書末尾に資料三として添付された追加所得確認書写)。もっとも、その際、被告人全は、当該特別賞与は、昭和五八年二月期においては真実に支払われたものであり、五七年二月期は支給期を繰上げる趣旨の仮装をした旨述べている。そして、第一審判決も、量刑の理由の中(二八丁)で、前述の税務調査の際は、「架空賞与については支給時期が対象期外であると指摘されたのみで架空の事実については発覚しなかった」旨述べているが、「五八年二月期に真実に支給したものを五七年二月期に支給した如く仮装した」ということは、「五七年二月期としては支給してないものを支給した如く仮装した」ということであって、五七年二月期の特別賞与が架空のものであったことを自供したことに外ならないのである。この調査の時点では五八年二月期はまだ確定申告がなされる前の段階であって事業年度進行中のことであるから、税務調査の対象になっていなかったもので、五八年二月期について、発覚したとか発覚しなかったということはあり得ないことである。

第一審判決は、質問検査権の行使に対して自供された自己の刑事責任を問われるおそれのある事実である五七年二月期の架空賞与の計上による脱税を刑罰の対象としているのであるが、これは前述(一)と合わせ考えると正に憲法三八条一項及び三一条に反する。

(三) 法人税法一五六条は、同法一五三条の質問検査権は犯罪捜査のために認められたものと解してはならないと規定している。この規定は「質問検査権の行使によって収集された資料は、犯罪捜査のために用いてはならないし、有罪とするためにそのような資料を証拠としてはならない」趣旨をもつものと解される。

ところが、第一審判決は、証拠の標目の中(二一丁)で、判示第二の一の(四)の各事実即ち日環アルミニウム工業の昭和五七年二月期の脱税につき、相被告人山口の昭和五九年一一月三〇日付の検察官に対する供述調書を証拠としてあげているが、当該調書には、前記(二)でも述べたように、被告人全の税務署職員に対する供述書である追加所得確認書の写が資料三として添付されている。このことは、質問検査権の行使に対し自供した事実を犯罪捜査のために使用し、かつ犯罪を立証するための証拠として用いているもので、法人税法一五六条に反する。この場合に、当該資料に依存しなくてもその他の証拠によって犯罪の立証ができるからといって、手続が違法であることを免れることはできない。

二 弁護人の控訴の趣意も右のおとりであったところ、これに対し原判決は理由がないとしてしりぞけているが、このような原判決は以下に述べるとおり憲法三八条一項及び法人税法一五六条の解釈を誤り、これらの規定に違反し、さらに憲法三一条及び三九条に違反することとなる。

(一) 原判決は、相被告人山口の検察官に対する昭和五九年一一月三〇日付供述調書の資料三即ち被告人全が作成、税務署へ提出した「追加所得確認書」は、その作成の経緯からみると、北税務署の担当官が、当座預金照合表等の記載から、右賞与が決算期内に支出されていないことや帳簿が改ざんされていることを発見し、さらにその後調査を続けて把握した事実を同被告人がむしろできるだけ自己に有利に歪曲しようとしたものにすぎないから、第一審の判示第二の一の(四)の事実即ち日環アルミニウム工業の五七年二月期の脱税は、被告人全の右資料を含む供述によって初めて明らかにされた事実ではなく右供述部分が端緒となって発見された事実でもないから、この供述した事実を処罰の対象にすることは、何ら、憲法三八条一項や法人税法一五六条に違反するものではないとしている(原判決七丁の裏及び八丁の裏)。

しかしながら原判決が指摘する当座預金照合表やその他の帳簿の調査も法人税法一六二条の罰則(検査拒否犯)による強制下に行なう同法一五三条に基づく質問検査権の行使に外ならないものであり、これらの帳簿類の保管の最高責任者は会社の代表者たる被告人全であったのであるから、これらの帳簿類の調査を應諾したのは被告人全であったわけであり、税務署の調査官は、要するに、被告人全の保管する帳簿等を同人に対する検査拒否犯による威圧の下に調査して、そこから得られた事実に基づき被告人全にその確認をせまったものであって、帳簿等の調査が集約されて追加所得確認書となったものである。原判決のように、架空賞与計上による脱税の事実は、帳簿調査により明らかになったものであって被告人全が自供した事実でないと解することは、帳簿調査そのものも被告人全に対する供述強要の一環に過ぎないことを見逃しているものである。さらに憲法三八条一項の規定は、およそ、何人も自己の刑事責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障しているものであるから、本人に刑事責任を追及されるべき行為があったことを推定される他の証拠がある場合にはその者に供述を強要してもかまわない趣旨に解すべきではなく、また、関連する証拠が他には全く発見されていないで、本人の自供のみによって初めて事実関係が明らかになるような状況の下での供述強要のみを禁止する規定であると解釈すべきでもない。

したがって、他に関連する証拠がある場合には強要により供述された事実を処罰しても憲法三八条一項に違反するものではないという原判決は憲法の当該規定の解釈を誤ったものである。

(二) 原判決は、さらに、右追加所得確認書を含む被告人全の税務署調査官に対する供述部分は、第一審判決においては、特に証拠として明示されているわけではなく、第一審判示第二の一の(四)を証明する証拠は、第一審判決証拠の標目欄記載のとおり、外に多数存在するところ、一般に、標目として、掲げられた証拠が、その証拠内の各部分にわたりすべて判示事実の認定に供されているとはいえないから、第一審判決が、右供述部分をも第一審判示第二の一の(四)の証拠とする趣旨であったとは必ずしもいえないと判示している(原判決七丁の裏)。

しかしながら、原判決が参照として掲げている最高裁昭和二六年一二月二五日第三小法廷判決(刑集五巻一三号二六三〇頁)によれば「判決の証拠説明とは証拠の標目を示せば足りるのであるから、本件のような証拠については判示にそわない部分はこれを採用しなかったものと判断すべきである」ところ、本件「追加所得確認書」は、判示にそわない部分ではなく、判示にそう部分であるからこれを採用しているものと判断すべきで、右確認書を含めてその他税務調査の段階で収集された資料が、被告人らの犯罪捜査に用いられ、そこで供述された相被告人の供述と相まって被告人全の犯罪の立証のために用いられていることは明らかである。

(三) 原判決は、また、質問検査権の行使によって供述された事実を犯罪捜査のために利用したとしてもそれは刑事責任の追及を目的としない段階において税務調査として適法とされている質問によって得られた供述をその後捜査手続に利用しただけであるからその捜査手続に違法はないと判示する(原判決八丁)。

しかしながら、この判示は、以下に述べるとおり、法人税法一五六条の解釈を誤り、同条及び憲法三一条に違反するものである。

そもそも、法人税法一五六条は、当該職員の質問検査権は、「犯罪捜査のために認められたものと解してはならない」ことを規定しているのであるがこの規定の趣旨に関して原判決(八丁)が参照として摘示している最高裁昭和五一年七月九日第二小法廷判決(裁判集刑事二〇一号一三七頁)が、「法人税法一五六条が、税務調査中に犯則事件が探知された場合に、これが端緒となって収税官吏による犯則事件としての調査に移行することをも禁ずる趣旨のものとは解し得ない」との控訴審の判断は正当であると判示しているからといってそのことが原判決のような判示の根拠となるものではない。この最高裁の判示が指摘する「税務調査中に犯則事件が探知された場合にこれが端緒となって収税官吏による犯則事件としての調査に移行する」ことと原判決のいわゆる「税務調査によって得られた供述をその後捜査手続に利用する」こととは全く異質のことである。前者が法人税法一五六条の禁ずるところではないからといって後者も同条の下で認められると解されることは許されない。すなわち、前者の場合、税務調査中に犯則事件が探知されたことが端緒となって収税官吏による犯則調査に移行しただけであるから、一般職員が質問検査権の行使によって知り得た事実特に供述者の刑事責任を問われるおそれのある事実が収税官吏に引き継がれたとは必ずしも解されない。一般職員の調査が相手方の抵抗によって難航しているとか、又は大きな脱漏所得がありそうだという風評を耳にして収税官吏が動くこともあり得るであろう。ところが後者の場合には一般職員による質問検査権行使の結果得られた供述そのものが捜査当局による捜査に利用されているのである。法人税法一五六条は正にそのようなことを禁じているのである。(後注)

なお、前述最高裁判決は、「本件の場合法人税法に基づく質問検査権を犯則調査若しくは犯罪捜査のための手段として行使したと認めるに足る資料はないから、所論違憲の主張は採用できない」と判示しているが、本件日環アルミニウム工業の場合のように、質問検査権の行使によって得た供述を捜査段階で被疑者に示しながら各般の供述を求めること、即ちこれらの供述なり資料なりを捜査に利用することは正に「法人税法に基づく質問検査権を犯罪捜査のための手段として行使した」ことに外ならないのである。

検察官や査察官が国税調査官を兼務して犯罪捜査のために税法上の質問検査権を行使するとか、検察官や査察官が国税調査官を指揮して犯罪捜査を行なわせるとか、または、犯罪捜査について何らの権限もない国税調査官自らが質問検査権を行使して犯罪捜査を行なうことなどは我が国の現行行政制度の下ではおよそ起こり得ないことでるから、そのような起こり得ないことを禁止するために法人税法一五六条が設けられていると解すべきではなく、同条は、憲法三八条一項の法意に照らし、罰則による強制の下に過少申告に当って仮装・隠蔽の事実があったかどうか、即ち罪となるべき事実に該当する事実があったかどうかを供述させられる場合のある納税者の人権を擁護する見地から設けられているもので、原判決が違法でないと主張する「質問検査権の行使によって得られた供述そのものを捜査段階で利用すること」をこそ禁ずる趣旨であり、原判決はこの点において法人税法一五六条の解釈を誤っているもので、この誤りは単なる法令解釈の誤りに止まるものではなく、正当手続を保障する憲法三一条に違反する結果を招来するもので破棄されるべきものである。

(注) 原判決(八丁)が、参照として摘示している前述最高裁昭和五一年七月九日第二小法廷判決(裁判集刑事二〇一号一三七頁)は、「法人税法一五六条が、税務調査中に犯則事件が探知された場合に、これが端緒となって、収税官吏による犯則事件としての調査に移行することをも禁ずる趣旨のものとは解し得ない」との控訴審の判断は正当であると判示しているが、この判示の趣旨を「法人税法一五六条は、税務調査中に犯則事件が探知された場合、これが端緒となって、収税官吏による犯則事件としての調査に移行することを全面的に認めている」と解することはできない。右の最高裁判決があった後、昭和五九年三月二七日第三小法廷判決(昭和五八年(あ)第一八〇号、税資刑五四巻一四五三頁参照)は、収税官吏の質問調査手続に対しては、憲法三八条一項の供述拒否権の保障が及ぶことを明らかにしているので、供述拒否権の保障のない一般調査により犯則事実について自供をさせ、収税官吏が、その自供並びに自供に基く関係資料を利用しながら、犯則調査を実施することが認められるものであるならば、収税官吏の調査に対して供述拒否権を保障しても実質的にはほとんど意味がないからである。このような態様による一般調査から犯則調査への移行は法人税一五六条により禁止されていると解すべきである。

(四) なお、原判決は、右追加所得確認書写は被告人全の同意を得て原審で取り調べられたのであるから、その取調べ手続に違法はないと判示している(原判決八丁の裏)。しかしながら、弁護人が違法として指摘しているのは、

1 確認書で自供された犯罪を処罰の対象としていることである。かかる犯罪自体が憲法三八条一項により免責とさるのであるから、当該確認書が第一審で証拠調の対象となることに被告人及び弁護人が同意したからといって確認書で自供した事実を処罰することが違憲でなくなることはない。

2 弁護人が指摘していることの第二点は、確認書を捜査に利用したという事実である。法人税法一五六条は、確認書が犯罪捜査の手段として利用されることを禁止しているのであるから、確認書の証拠欄に同意したからといって、この違法性の事実が消滅するものではない。

3 指摘していることの第三点は、確認書そのものを証拠としていることである。確認書は、法人税法一五三条の質問検査権の行使に対し、同法一六二条による罰則の間接強制の下になされた供述であるから、刑事訴訟法三一九条一項の強制による自白に相当するもので、いわゆる絶対的禁止に該当するからその証拠調に被告人や弁護人が同意したからといって同法三二六条により証拠能力を与えられるものではない。

4 以上のとおり、確認書を捜査に利用し、犯罪の立証に用い、確認書で自供された犯罪を処罰の対象とすることが法人税法一五六条並びに憲法三八条一項及び三一条に違反することは明らかである。

(五) 最後に、査察調査が開始される一年も前に修正申告と納税を済ませている事案を処罰するのは著しく正義に反し、基本的人権の尊重を基本原理とする憲法の精神から是認できないという控訴趣意に対し、原判決は逋脱罪が成立した後に、修正申告をし、納税義務を履行しても、そのことは犯人に対する起訴猶予処分の当不当又は科刑の程度を判断する一個の資料となるにすぎず、そのほか、犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状等を総合考慮し、当該犯罪の公訴時効期間内にこれを起訴し、処罰することは、なんら基本的人権を尊重する憲法の精神に反するものでなく、控訴には理由がないとしてこれをしりぞけている(原判決九丁)。

しかしながら、原判決は、法人税法一五九条の逋脱罪の既遂の時期についていわゆる法定申告期限説(すなわち納期限説)を当然視しているようであるが、本件のように確定申告書提出後査察調査着手前に一般税務調査を受けて自己の非違を確認し、修正申告と納税をした場合にもなお、犯罪は確定申告期限において既に成立していたものであるから処罰できると断定すること自体誤りである。

憲法三〇条は、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」と定めているから納税義務は法律の定めによって初めて生ずるものであり、その義務の履行の方式も、また納税義務の違反が如何なる条件の下に生ずるかもすべて法律によって定められるべきでる。したがって、如何なる時点で如何なる条件の下に逋脱罪が成立するかはすべて立法政策の問題であり、実定法の解釈の問題である。

法人税法一五九条一項は「偽りその他不正の行為により、第七十四条第一項第二号(確定申告に係る法人税額)(第百四十五条第一項(外国法人に対する準用)において準用する場合を含む。)、第八十九条第二号(退職年金等積立金確定申告に係る法人税額)、第百四条第一項第二号(清算確定申告に係る法人税額)若しくは第百十六条第一項第二号(合併確定申告に係る法人税額)に規定する法人税の額につき法人税を免れ、又は第八十一条第六項(欠損金の繰戻しによる還付)(第百四十五条第一項において準用する場合を含む。)の規定による法人税の還付を受けた場合には、法人の代表者(人格のない社団等の管理人を含む。以下この編において同じ。)、代理人、使用人その他の従業者でその違反行為をした者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」と定めている。

本件日環グループの逋脱事案は、この規定中の法人税法八九条二号、一〇四条一項二号、一一六条一項二号及び八一条六項とは関係がないので、これらの文言を除き、さらに、条文の見出しや準用関係のカッコ内の文言をも除いて法人税法一五九条一項中本件に直接関係のある部分のみに整理すると同条同項は「偽りその他不正の行為により、第七十四条第一項第二号に規定する法人税の額につき法人税を免れた場合には、法人の代表者、代理人、使用人その他の従業者でその違反行為をした者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」旨を定めている。

つまり法人税逋脱罪成立の要件は、法人税法七四条一項二号に規定する法人税の額につき法人税を免れたことである。同項同号に規定する法人税の額とは同項一号に掲げる所得につき法人税法第二編第一章第二節の規定を適用して計算した法人税の額、すなわち当該法人の当該事業年度の正当税額のことであるから、法人税逋脱罪は、正当な法人税額を免れた時に成立する。

そこで次に「免れた」とは、如何なる事態をいうかが問題である。

この点に関するもっとも新しい最高裁判例は、最高裁昭和四五年三月一三日第二小法廷判決(昭和四三年(あ)第二三七一号、税資刑二六巻一八七頁参照)である。その見解は「法人税逋脱罪は、納期の経過により既遂となり、その後に修正申告をして不足の税額を納付しても逋脱罪の成立には影響がない。」というものである。

しかし、憲法がいう納税の義務について定めている法律のうち最も基本的なものである国税通則法は、一七条で法人税・所得税等の申告納税方式による国税の納税者は、国税に関する法律の定めるところにより、納税申告書を法定申告期限までに税務署長に提出しなければならないと定めているが、その一九条では、「先の納税申告書の提出により納付すべきものとしてこれに記載した税額に不足額があるとき」は修正申告書を提出することができる旨を規定している。すなわち、国税通則法は、期限内申告書によって、正当な納税がなされない場合も想定して、納税者の権利として修正申告の制度を設けているものであり、この修正申告の制度も、憲法三〇条のいわゆる法律の定めに外ならない。しかして、不正な確定申告がなされ法定納期限を徒過すればその時点で逋脱罪が成立するとするのか、たとえ当初の確定申告では不足額があったとしても修正申告により修正されて納税義務が完遂されれば、犯罪は成立しないものとするかはもっぱら立法政策の問題であり、法解釈の問題である。

修正申告により先の誤りを修正すれば犯罪は成立しないという立法も可能であり、そのような立法をしたからといって特に不都合も生じないと考えられる。

そこで、法人税逋脱罪を定めている法人税法一五九条一項の規定は「逋脱罪は確定申告によって成立し、そのあとで修正申告をしても犯罪の成立に何ら影響ない」としか解釈できないものであって「修正申告により先の誤りを修正すれば逋脱罪は成立しない」と解釈する余地は全くないかを検討する必要がある。

前述の昭和四五年三月一三日の最高裁判例は、昭和四〇年法律第三四号による全部改正前の法人税法(以下旧法という。)四八条一項の法人税逋脱罪に関する判例であって、改正後の新法による解釈はまだ最高裁判所からは示されていない。そこで新法一五九条一項も旧法四八条一項と全く同様に解釈されなければならないものかどうかが問題になる。旧法四八条一項は「詐偽その他不正の行為により、第十八条第一項、第二十一条第一項、第二十二条の四第一項若しくは第二十二条の五第一項の規定により申告をなすべき法人税若しくは第二十二条の二第一項の規定により申告をなすべき退職年金積立金に対する法人税を免れ又は第二十六条の四第四項の規定による金額の還付を受けた場合においては、法人の代表者(人格のない社団等の管理人を含む。以下同じ。)、代理人、使用人その他の従業者でその違反行為をした者は、これを三年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」と定めていた。この規定中の「第十八条第一項の規定」とは確定申告の義務を定めた規定であるから、「第十八条第一項の規定により申告をなすべき法人税を免れた場合」という文言は「確定申告の際申告をすべき法人税を免れた場合」と解することができるもので、確定申告書で正当税額を申告しなかった場合に逋脱罪が成立するという説の根拠になり得るが、新法には「確定申告書で申告すべき法人税」という申告書を特定する文言はなく、抽象的一般的な「正当税額」を免れた場合という趣旨に変っている(一五九条一項中(第七十四条第一項第二号)の下にカッコ書きで「確定申告に係る法人税額」なる文言があるが、この文言に罰則の解釈を左右するほどの規範としての意義はない)。

旧法の「第十八条第一項の規定により申告をなすべき法人税を免れた場合」という規定が新法の「第七十四条第一項第二号に規定する法人税の額につき法人税を免れた場合」という規定に変っているのであるから、従来の解釈を変えるべきである。旧法を新法のように改める際にどのような考え方であったかについては詳かではないが、新法では「確定申告により申告をなすべき」という趣旨が消えている点からみて、修正申告をした場合には犯罪は成立しなくなると解釈できる余地が生じたと思う。むしろそのように解すべきである。

憲法でいう納税の義務を完遂した者を、その前の一時点の事態を捕えて処罰するというのは、著しく正義に反する。一般の納税者感情としても、一旦は不足額のある申告をしても、自ら修正申告をして、納税義務を完遂したからには、もはや犯罪人の烙印を押されることなど到底あり得ないというものであろうと考えられる。

修正申告は、憲法に直結する法律によって定められた制度であって、一旦収受した賄賂を返却したり、一旦横領した物を返還したりすることとは全くその性質を異にするものである。

不足額のある確定申告をして納期を経過すればその時点で正当税額を免れたことになることは確かである。しかし、あとで修正申告をして不足額を納付すれば納税義務を完遂し、もはや税を免れていないことになることも確かである。旧法には前者の段階で既遂とする明文の根拠があったが、新法ではそれが、失われている。新法では、査察調査着手前に修正申告があれば、逋脱罪は成立しないと解すべきである。

従来、修正申告ないし更正があれば逋脱罪は成立しないという主張が裁判の過程でしばしば被告人の側から出されたことがあったが、これらはおおむね、査察調査着手後に修正申告ないし更正があった場合であった。本件は査察着手一年も前に修正申告をしていたケースで、従来のケースとは実質的に全く異なるものである。従来の既遂論に拠って、査察着手前に修正申告をした者を処罰するのは、憲法で認めている方式によって憲法でいう納税の義務を完遂した者すなわち何ら罪を犯していない者を処罰することになるもので、憲法三一条及び三九条に違反する。

原判決は破棄されるべきである。

第三点 原判決は、憲法一四条及び三一条に違反し、かつ、最高裁判所判例及び大審院判例と相反する判断をしたもので、その違反及び判断が判決に影響を及ぼすことは明らかであり、刑事訴訟法四〇五条に該当するので、同法四一〇条により破棄されるべきでる。

第一審判決が被告人全に罰金刑を併科したのは法人税法一五九条の適用を誤り、結局法律に基かずに人を処罰したものであるから憲法三一条及び三九条の罪刑法定主義に反するという弁護人の控訴趣意を理由がないとしている原判決は、以下に述べるとおり、憲法一四条及び三一条に違反し、かつ、最高裁判所判例及び大審院判例と相反する判断をしたもので、破棄されるべきである。

一 第一審判決の内容

第一審判決は量刑の理由の中で被告人らの脱税行為とそれに係る情状を詳細に述べた後、これら一切を考慮して、全炳城、山口敦男両被告人に実刑を科する旨判示している(第一審判決三二丁)。そして、被告人全については、「前叙のとおり、共同商事及び装美が消滅し、両法人に対し、罰金を科すことが不可能であるから、右両法人に関する脱税につき罰金刑を併科することとした。」と述べている(第一審判決三二丁)が、このことは、第一審判決は、脱税行為とそれに係る情状についての刑事責任の追及は、被告人全の場合、二年六月の実刑を科することで十二分に果たされると判断していたことを示すもので、罰金刑を併科したのは両法人が消滅していて両法人に対し罰金刑を科することができないことだけがその理由となっているものである。つまり、両法人に対し科すべきであった罰金を被告人全に転嫁したものである。

二 控訴の趣意

法人税法一五九条は、脱税行為を処罰する規定であって、法人が消滅したため両罰規定(同法一六四条)に基づき法人に罰金を科することができなくなったことを理由として脱税行為者を処罰することを定めた規定ではない。したがって一で述べたように、法人税法違反事件において、法人が消滅したため、いわゆる両罰規定により法人に科すべき罰金が科されなくなったことを理由として法人税法一五九条に基づき行為者に対し罰金を併科するのは、同条の適用を誤り、結局は法律に基づかないで人を処罰したという意味で、憲法三一条及び三九条の罪刑法定主義に違反することになる。

三 原判決の内容とそれが憲法、最高裁判所判例及び大審院判例に違反することについて

(一) 原判決の判示は、以下に述べるとおり、事実に基づかない独自の見解に過ぎない。およそ裁判所が、判示の根拠として虚偽の事実又は基準となり得ない事実を引用することは正当手続を保障した憲法三一条に違反する。

1 原判決は、「第一審判決が本件被告人全に対し懲役・罰金を併科することとし、併科罰金額を逋脱税額の約二二・五パーセントに当たる一億三〇〇〇万円としたことは、量刑としては標準的なものであると認められる」とし、その根拠として、「税法違反事件の一般的量刑例によれば、逋脱税額が多く逋脱率も高い事案では、懲役及び罰金の併科を行なうのが通例であり、併科する罰金額はおおむね逋脱税額の二〇パーセントないし三〇パーセントの範囲内とするのが通例である」ことを挙げている(原判決四丁の裏から五丁)。弁護人が、控訴趣意書で指摘したのは、被告人全に併科された罰金一億三〇〇〇万円の量刑が不当であるということではなく、そもそも併科そのものが法人に科すべき罰金を個人に転嫁したものであって違法、違憲であるということで、量刑の当不当を論ずる以前の問題であったのであるが、原判決は先ず量刑が妥当である旨主張するのでその点を検討する。

2 原判決は、前述のとおり、税法違反事件の一般的量刑例によれば、逋脱税額が多く、逋脱率も高い事案では行為者に対して懲役及び罰金の併科を行うのが通例であり、併科する罰金額はおおむね逋脱税額の二〇パーセントないし三〇パーセントの範囲内とするのが通例である旨主張しているが、これは、事実に基づかない独自の見解である。

3 まず、税法違反事件の一般的量刑例を調査することとする。「税法違反事件」を字義通り解せば法人税法だけでなく、所得税法違反事件をも含み、さらに、酒税法、物品税法、揮発油税法等の間接税法違反事件をも含むことになろう。しかしながら、酒税法等の間接税法では脱税行為に対する刑罰としての罰金刑の上限が脱税額の三倍とされており(酒税法五五条二項、物品税法四四条二項等)、法人税法においては罰金刑の上限が脱税額と同額とされている。法定刑の上限が異なるものにつき、宣告刑の脱税額に対する比率を論じても無意味である。従って調査するに当たって間接税を除くことにする。また所得税法の場合、法定刑は法人税法と同様脱税額と同額を上限としているが(所得税法二三八条二項)、脱税行為をした者が同時に納税義務者であって脱税による不法な利益の帰属者となっている場合がほとんどであるのに対し法人税法の場合は、法人税の納税義務者は法人であるから脱税による直接の受益者は法人であって、脱税行為をした者が直接の受益者になることは脱税の事実から当然には生じない。

逋脱罪に対する罰則自体において、所得税法二三八条は脱税行為をした納税義務者を処罰する規定であるのに対し、法人税法一五九条は納税義務者ではない個人が違反行為をした場合の処罰規定である。従って、所得税の脱税の場合には脱税行為者に対して、それが同時に納税義務者でもあることの結果、懲役刑と罰金刑の併科が行われることが法人税の場合に比べて格段に多い。むしろそれが原則とされている。

国税庁編税務訴訟資料租税関係刑事事件判決集第五三巻から五五巻までによって昭和五九年中に判決の確定した事案について調査すると、所得税法違反事件は六七件中六三件が併科されており(併科されなかった四件のうち三件は被告人が死亡したため公訴棄却、他の一件は違反行為をした者は納税義務者本人ではなくその妻であった)、法人税法違反事件は九二件中併科されたもの三件(うち二件は所得税法違反事件との併合罪、他の一件は、法人の脱税による簿外資金を私財化していた例)に過ぎない。従って、本件のような法人税法違反事件の科刑の参考とするため懲役と罰金の併科の事例について税法違反事件の一般的量刑例を調べるに当っては、所得税法違反事件をも除外することが合理的である。

そこで、法人税法違反事件についてだけの過去の裁判例を調査することとする。(「脱税事犯の最近の実態と傾向」《法務省刑事局付検事(当時)鶴田六郎、法律のひろば昭和五七年六月号九頁》によれば「所得税脱税事件にあっては、おおむね納税義務者と脱税行為者とが重なり合っており、そのため、同一人に対し自由刑と罰金刑の両方が科せられるケースがほとんどである。法人税脱税事件では、両罰規定の適用により納税義務者たる法人と脱税行為者たるその代表者等の双方が起訴されるのがほとんどであり、判決においても法人に罰金刑、行為者に自由刑が言い渡されるのが通例となっている。」)

4 調査に当たり戦後昭和二二年に法人税法違反に係る罰則が根本的に改正されて脱税犯に懲役刑が導入されて以来今日まで約二〇〇〇件に近い裁判例が存在するがこれら全部に当ることが必ずしも必要ではない。そこで、原判決も、脱税額が大きく逋脱率も高い事案について併科が通例であると述べているので、一般的に大口といわれる脱税額一億円以上の事件の確定判決について国税庁編税務訴訟資料により昭和五五年一月から昭和五九年一二月までの五年間に判決の確定した事案(六〇年一月以後に判決確定した事案及び第一審判決はあったが現に上訴審係属中の事案については公表されていない。)に当たってみた結果、別添資料第一のとおり、過去五年の脱税額一億円以上の法人税法違反事件に係る確定判決八三件(この五年間に判決の確定した総件数は四七三件である。)のうち懲役と罰金の併科が行なわれているのは僅かに二件(資料第一第九番事案及び第五六番事案)に過ぎない。

「逋脱税額が多く逋脱率も高い事案では、懲役及び罰金の併科を行うのが通例である」という原判決の判示(原判決四丁裏)は全く事実に反するものであることが明らかである。

もしも、原判決が、所得税法違反事件の場合納税義務者たる脱税行為者に対し懲役と罰金との併科が行なわれるのが通例であることをとらえて、法人税法違反事件にもそれが妥当するものと解して前述の如き判示を行なっていたものならば、所得税逋脱罪と法人税逋脱罪に関する法律の規定の差異及び両者に対し現に行なわれている科刑の実際の差異を無視し、基準となし得ないものを基準としようとする暴論と言わざるを得ないものである。

5 さらに原判決がいう「併科する罰金額はおおむね逋脱税額の二〇パーセントないし三〇パーセントの範囲内とするのが通例である」(原判決四丁裏)というのも全く根拠のない主張である。資料第一で明らかなとおり、過去五年の大口事案の量刑例では併科の例は二件しかなく、この二件の罰金比率は、第九番事案が一一・一パーセント、第五六番事案が二七・二パーセントとなっていて、併科罰金額が逋脱税額に対しどのような比率になっているかの「通例」を導き出すことはできない。

そこで「通例」を導き出すことができる程度の件数に達するようさらに遡り、過去約二〇年間の法人税法違反事件のうち、行為者に対して懲役と罰金が併科された全事案五〇件(被告人個人数五九人、所得税法違反事件と併合されているため併科されているものを除く。)について調査すると、別添資料第二のとおり、罰金を併科された五九件中罰金比率一〇パーセント以下四一件、一〇パーセント超二〇パーセント以下一五件、二〇パーセント超三〇パーセント以下二件、三〇パーセント超一件で併科罰金刑の逋脱税額に対する比率は平均すると八・三パーセントと一〇パーセント以下である。原判決が「通例」といっている「二〇パーセントないし三〇パーセントの範囲内」のものは五九件中僅か二件に過ぎない。

これに対し法人に対する罰金額は科刑された法人四七件についてみると罰金比率一〇パーセント以下三件、一〇パーセント超二〇パーセント以下一四件、二〇パーセント超三〇パーセント以下二四件、三〇パーセント超六件で平均二二・九パーセントとなっている。

また、資料第一で法人に対する罰金刑の科刑状況をみると罰金を科された法人一一〇件中罰金比率一〇パーセント以下は皆無で、一〇パーセント超二〇パーセント以下一〇件、二〇パーセント超三〇パーセント以下九一件、三〇パーセント超九件となっていて、全体の平均は二五・一パーセントである。

結局逋脱税額の二〇パーセントないし三〇パーセントの罰金刑が科されるのは資料第一及び資料第二で明らかなとおり、両罰規定に基づき業務主たる法人に科される場合であるのが通例である。

6 以上のとおりであって原判決の判示は、事実に基づかない、独自の見解に過ぎない。従って、被告人全に対する罰金刑が標準的なものであるとする摘示にも何ら根拠はない。過去の現実の裁判例に比べてみれば明らかに過大で苛酷な刑であり、通常の場合法人に科されるべき罰金を個人に転嫁したものであることは明らかである。

原判決の「税法違反事件の一般的量刑例によれば逋脱税額が多く逋脱率の高い事案では、懲役及び罰金の併科を行なうのが通例であり、併科する罰金額はおおむね逋脱税額の二〇パーセントないし三〇パーセントの範囲とするのが通例である」というのは「税法違反事件」なる文言を「法人税法違反事件」と解する限り虚偽である。また「税法違反事件」に所得税法違反事件をも含ませていたとするならば、3、4で前述のとおり、本件の場合は基準となり得ないものである。

およそ裁判所が、判示の根拠として虚偽の事実又は基準となり得ない事実を引用することは正当手続を保障する憲法三一条に違反する。

7 弁護人は、所得税法及び法人税法の罰則の趣旨並びに過去の裁判例からみて、法人税法違反事件において行為者個人に対して罰金刑が併科されるのは、原則として、懲役刑が執行猶予付きとなっていて、しかも行為者において、脱税による法人の簿外資産を私財化したり私的費消にまわしたりして脱税による直接の受益者となっている場合であると思料するものである。

法人が消滅した等のため両罰規定により罰金を科することができなくなることと直接に結びつくような問題ではないのである。

法人が消滅したため、法人に罰金が科されなくなった場合において、個人に高率の罰金を併科した例として資料第一の第五六番事案があるが、この事件においても判決は、法人に罰金を科されなくなったことが如何にして、個人に利益をもたらすかを詳細に説明している。しかも、この事件は懲役刑は執行猶予付である。

本件脱税により被告人全が個人として受けた利益はない。第一審判決は、簿外資金の一部を貸付金にまわしてその貸付利息を自己のものとしたから会社の簿外資金を利用したことになるというが、この点は第一点で述べたとおり、証拠に基づかない重大な事実誤認である。本件共同商事と装美の消滅により被告人全は何ら利益を受けていない。

さらに、法人に罰金を科すことができなくなったからといって直ちに個人に併科することにはならない例として、資料第一の第六八番事案を挙げることができる。本件は、脱税額一二億五七〇〇万円余、逋脱率一〇〇パーセント、業務上横領二億四三〇〇万円という事案であるが、法人が起訴されていないため両罰規定による法人に対する罰金の科刑は行なわれていない。にも拘らず、個人に対しては、罰金の併科は行なわれていないのである。

このような角度からみても、本件、被告人全に対する罰金刑は、消滅した二法人に対し科されるべきであった罰金刑をきわめて安易に個人に転嫁したもので、憲法三一条及び三九条に違反し、破棄されるべきものであることは明らかである。

(二) 次に、原判決は、第一審判決が「両法人に罰金刑を科することができないから被告人全に罰金を併科する旨判示したのは、逋脱事件において両罰規定により法人と従業者との双方が現実に処罰される場合には、法人に罰金刑を科することを従業者のために有利な事情と斟酌し、従業者に対しては懲役刑のみを科し、罰金刑を併科しないという量刑例が少なくないことを考慮し、本件は、現実には法人と従業者とを両罰することができない場合であるから、右の例によらず、従業者に対して本来の標準的な量刑をする、という趣旨を表明したものと解されるのである。」と判示しているが(原判決五丁)、原判決のこのような判断は以下に述べるとおり、法人税法一五九条によって、法人税逋脱事件における脱税行為を行った者に対し科する行為者罰と、同法一六四条のいわゆる両罰規定により、業務主たる法人に対し科する責任罰との刑罰としての本質に関する両規定の解釈を誤り、その意味で憲法三一条に違反し、かつ、行為者罰と責任罰との関係につき、最高裁判所の判例及び大審院の判例に違反し、さらに、憲法一四条に反するものである。

なお、右判示中第一審判決が被告人全に対して科した、消滅した二法人の脱税額の二二・五パーセントに当たる一億三〇〇〇万円の罰金刑を本来の標準的な量刑といっている点が全く根拠のないものであることは前記(一)で述べたとおりであり、その意味でも、原判決の右判示は誤りである。

1 確かに原判決の判示のように、また、資料第一で明らかなように、行為者に対しては懲役刑のみを科している例が多く懲役・罰金を併科している例はきわめて少ない。

しかしながら、行為者に対して懲役刑のみが科されている例が多いことをもって、原判決がいうように、もともと、行為者には懲役と罰金が併科されるべきであったが、業務主たる法人に罰金を科したことを行為者に有利な事情として斟酌した結果であるとは解されない。

そもそも法人税法一五九条は、脱税行為があった場合、行為者に対して、懲役のみか罰金のみか又は懲役と罰金の併科かの三つの科刑の態様を定めているものであり、従来の量刑例はその脱税行為者の犯情に応じ、右の三つの科刑のうちいずれかを選択していると解すべきである。行為者に対して、懲役刑のみが科されている場合については、当該判決が懲役刑のみを科するのが妥当であると判断したものと解すべきであって、ことさらに、本来は併科されるべきであったところ、業務主に罰金刑が科されたからそのことを行為者に対して有利な事情と判断して罰金刑の併科をとりやめたなどと解釈しなければならない必然性はないのである。そのようなことを量刑の理由で述べている裁判例は一件もない。罰金は刑事責任を追及するための刑罰であって、行為者と法人とを連帯債務者のように扱い両者合計で一定額の金銭を納付させることとは全く性質を異にするものである。

従業者が違反行為をした場合は、両罰規定により、殆ど当然に、業務主たる法人は罰金刑を科されるのであるから、そのことを、懲役と罰金とが併科されるはずであった行為者にだけ有利な事情とするのは公平でない。

業務主たる法人に罰金刑を科されることを懲役と罰金が併科される筈であった行為者に有利な事情として斟酌するならば、同時に、懲役だけを科される筈である行為者及び罰金だけを科される筈である行為者にも、有利な事情として斟酌しなければならない筈である。業務主に科される罰金刑を懲役に換算する合理的基準もないから、業務主に罰金が科されることを懲役だけを科される筈であった行為者に有利な事情として斟酌することは不可能であり、業務主たる法人に罰金刑を科されることを罰金刑のみを科される筈であった行為者のために有利に斟酌すると、行為者には罰金刑を科さない即ち行為者は処罰しないという奇妙な結果になる。

要するに、原判決の主張するような解釈は、それ自体合理性、公平性に欠けるもので、法人税法一五九条及び一六四条の解釈を誤り、その意味で憲法三一条に違反するものであるがなおさらに、もともと、懲役刑のみが科せられるべき行為者、罰金刑のみが科されるべき行為者及び懲役・罰金が併科されるべき行為者間に、仮に、両罰規定により業務主に科される罰金刑を有利な事情として斟酌するとしてもいわれのない差別を設けることになるもので、そのような解釈は憲法一四条に反することになる。

2 業務主に対し責任罰を科すことを行為者にとって有利な事情とみて行為者罰軽減の理由とする原判決は、責任罰と行為者罰の刑罰としての本質並びに両者の関係について独自の考え方に立脚しているものと思われる。最高裁判所判例は、業務主責任について、「事業主が人である場合の両罰規定については、その代理人、使用人、その他の従業者の違反行為に対し、事業主に右行為者らの選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかった過失の存在を推定したものであって、事業主において右に関する注意を尽したことの証明がなされない限り、事業主もまた刑責を免れ得ないとする法意と解するを相当とすることは、すでに当裁判所屡次の判例(昭和二六年(れ)第一四五二号、同三二年一一月二七日大法廷判決、刑集一一巻一二号三一一三頁、昭和二八年(あ)第四三五六号、同三三年二月七日第二小法廷判決、刑集一二巻二号一一七頁、昭和三七年(あ)第二三四一号、同三八年二月二六日第三小法廷判決、刑集一七巻一号一五頁各参照)の説示するところであり、右法意は、本件のように事業主が法人(株式会社)で、行為者が、その代表者でない、従業者である場合にも、当然推及されるべきである」と述べている(昭和四〇年三月二六日第二小法廷判決、刑集一九巻二号八三頁)。つまり、行為者罰は、脱税行為についての責任を追及するものであるのに対し、業務主の責任罰は、業務主がそのような脱税行為を行った行為者の選任、監督に過失があったものとしてその責任を追及するものである。そうだとすれば、行為者の犯罪行為が懲役と罰金をもって処罰されるにふさわしいものであった場合、そのような行為者の選任、監督に過失があったとして業務主が罰金刑を科されたからといって、行為者に科されるべき罰金を免除してやる理由にはならないはずである。

原判決は行為者罰と責任罰との関係に関し最高裁判例と相反する独自の判断をしたことになり破棄を免れない。

3(1) 前述のとおり、原判決は、「原判決が、両法人に罰金刑を科することができないから被告人全に罰金刑を併科する旨判示したのは、逋脱事件において、両罰規定により法人と従業者との双方が現実に処罰される場合には、法人に罰金刑を科することを従業者のために有利な事情として斟酌し、従業者に対しては懲役刑のみを科し罰金刑を併科しないという量刑例が少なくないことを考慮し、本件は現実には法人と従業者とを両罰することができない場合であるから、右の例によらず、従業者に対して本来の標準的な量刑をする、という趣旨を表明したものと解されるのである。したがって、原判決は、法人に対する刑を従業者に転嫁したものでも、法人を消滅させたことを処罰したものでもなく、また、法人税法一五九条及び憲法三一条、三九条に違反するものでもない。」と判示しているが(原判決五丁)、この判示は、結局、行為者罰と責任罰との関係に関し、懲役と罰金とを併科するにふさわしい脱税行為者に対する罰金刑は、業務主たる法人に罰金刑を科することができる場合はこれを免除し、法人が消滅した等の理由により罰金刑を法人に科することができなくなる場合はこれを復活させて科刑するような関係にある旨のことを述べているものである。

(2) また、原判決は「被告人全に対する罰金刑は、共同商事株式会社及び株式会社装美に科せられるべき罰金額と関係はあるが、同額であるべき必然性はなく、かえって、懲役刑との併科である点を考慮すると、従業者に対する罰金額の方が法人に対する罰金額よりも多少低額であることが合理的である」と述べて(原判決一四丁の裏)、法人税法一五九条により個人に併科される罰金は、同法一六四条により法人に科されるべき罰金を基準にしてそれより多少低額にすることが合理的であるという判断を明らかにしている。

(3) しかしながら原判決の(1)及び(2)のような判断は、行為者罰と責任罰との両者の関係について「業務主カ従業者ノ違反行為ニ対シ責任ヲ負担スル場合ニハ罰金刑ノミヲ科スヘキ制限アルニ止リ業務主ト従業者トノ科刑ニ付テハ夫々諸般ノ犯情ヲ斟酌シテ各別ニ量刑スヘキコト当然ナレハ其ノ結果或ハ両者ノ科刑全然異ルモ将又全然同一ナルモ何等怪シムニ足ラサルモノトス」と判示して、業務主に対する科刑と行為者たる従業者に対する科刑とは「各別に量刑すべきものである」こと、すなわち、業務主に対する科刑を従業者に対する科刑上有利な事情とみることや業務主に対する科刑を基準にして従業者に対する科刑の量定をするなどあり得ないことを示している大審院判例(昭和一六年八月二〇日大審院第三刑事部・法律新聞第四七二五号の二〇)の判断に違反するもので破棄を免れない。

第四点 原判決は、第一審判決の重大な事実誤認が判決に影響を及ぼすものでない旨判示しているが、これは憲法三一条に違反し、刑事訴訟法四〇五条に該当するので、同法四一〇条により破棄されるべきである。

原判決は、被告人全が共同商事及び装美の代表取締役であったとする第一審判決の事実誤認は判決に影響を及ぼすものとはいえないと判示している(原判決四丁)が、以下に述べるとおりこの判断は誤りであり、実質経営者を代表取締役と誤認した場合に判決に影響を及ぼすことは明らかである。

このような第一審判決を維持しようとする原判決は憲法三一条に違反する。

一 第一審判決には、被告人全が、共同商事及び装美の代表取締役であった旨の事実誤認があったが、この事実誤認は以下に述べるとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

法人税法一五九条は、偽りその他不正の行為により、同法七四条一項二号に規定する法人税の額につき法人税を免れた場合には、法人の代表者その他の従業者でその違反行為をした者を処罰する旨を定めている。そして、法人税法七四条は、内国法人は、各事業年度終了の日の翌日から二月以内に税務署長に対し、確定した決算に基づき当該事業年度の課税標準である所得の金額につき、同法第二編第一章第二節の規定を適用した法人税の額を記載した申告書を提出しなければならないと定めている。

すなわち、法人税法は、法人に対して正当な税額を申告すべき義務を課しているのである。

法人税の脱税が法人税法一五九条により犯罪として処罰されるのは、法人税法が同法七四条により正しい申告をすることを法人の義務としているからである。

ところで、法人そのものが現実に納税申告という行為をすることはできないから、この法人税法上の法人の義務を遂行しなければならないのは、法人の代表者である。すなわち、法人税法上正当税額申告義務を負っているのは、法人の代表者である。これに対して、いわゆる実質経営者はいかに法人の業務を現実に統轄していたからといっても、法人税法上正当税額申告義務を負っているわけではない。従って、法人の代表者が脱税行為をしたということは、法人税法上正当税額を申告する義務があるのに、敢えてその義務に違反して法人税を免れさせたものであるのに対し、実質経営者が脱税行為をしたということは単にその他の者の事実行為として法人税を免れさせたものに過ぎない。

右の意味において、法人の代表者が脱税行為をした場合と実質経営者が脱税行為をした場合とでは、その刑事責任に実質的に差があることになる。従って、同様、同程度の脱税行為であっても代表者に対する量刑は実質経営者に対する量刑よりも重くてしかるべきであり、実質経営者を代表者と誤認しても量刑には何ら影響を与えないという原審の判断は結局は、法人税法一五九条の解釈、適用を誤ったものである。この事実誤認が判決(被告人全に対する懲役刑の量刑)に影響を及ぼしていることは明らかである。

二 法人の実質経営者が法人税法一五九条及び一六四条の解釈、適用上法人の「その他の従業者」に含まれるのか法人の「実質的代表者」とも称すべき地位にある者かが争われた事件において最高裁判所第二小法廷は、「法人税法一五九条一項、一六四条一項にいう「その他の従業者」には、当該法人の代表者ではない実質的経営者も含まれるとした原判決は相当である」と判示して(昭和五八年三月一一日第三小法廷決定、刑集一二七巻二号五四頁)、法人税法一五九条一項及び一六四条一項の解釈上法人の代表者と実質経営者とは異なるものであることを明らかにしているが、法人税の脱税事件において、法人税法一五九条の違反行為の主体が法人の代表者であったか、実質経営者すなわちその他の従業者であったかによって、以下に述べるとおり同法一六四条の両罰規定に基づく業務主たる法人の処罰におおきな影響を与える。本件の場合、業務主たる法人は消滅しているので処罰されていないが、業務主に科されるべき罰金刑を行為者たる被告人全に科したものである点において、併科された罰金刑の量刑を通じて判決に影響を与えているものである。

(一) 法人税法一六四条は、「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が」その法人又は人の業務に関して同法一五九条一項の違反行為をしたときは、その行為者を罰するほか、その法人又は人に対して同条の罰金刑を科する旨定めている。

違反行為の主体として「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者」と定めており、この行為主体に関する規定の仕方は、「法人の代表者」と「法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者」とに区分して規定しているものであって、法人の代表者は法人の代理人、使用人等の従業者とは異なるものであることを現わしている。つまり、代表者は代理人や使用人等の従業者とは異なる独特の地位を与えられていることになる。規定の表現自体が法人の代表者と法人の従業者とを区別しているもので、このことは、法人の代表者が違反行為をした場合と代表者ではない従業者が違反行為をしたときとでは、業務主たる法人の処罰に差異が生ずることを規定自体が示唆しているものと解される。

(二) 法人税法一六四条のようないわゆる両罰規定によって法人が処罰される場合の法人の刑事責任については種々の解釈があったが、最高裁判所第二小法廷は、昭和四〇年三月二六日の判決(昭和三八年(あ)第一八〇一号、刑集一九巻二号八三頁)で「事業主が人である場合の両罰規定については、その代理人、使用人その他の従業者の違反行為に対し、事業主に右行為者らの選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかった過失の存在を推定したものであって、事業主において右に関する注意を尽したことの証明がなされない限り、事業主もまた刑責を免れ得ないとする法意と解するを相当とすることは、すでに当裁判所屡次の判例(昭和二六年…省略…)の説示するところであり、右法意は、本件のように事業主が法人(株式会社)で、行為者が、その代表者でない、従業者である場合にも、当然推及されるべきである………。」と判示している。

右の判示は、判文から明らかなように、「行為者が、その代表者でない、従業者である場合」についてだけ述べており、「行為者が、その代表者である場合」については言及していない。

このことは、業務主たる法人が行為者の選任、監督上の責任を問われるのは、行為者が従業者である場合だけであって、行為者が代表者である場合に問われる業務主の責任は行為者の選任、監督上の責任ではないことを示しているものと解される。問われているものが行為者の選任、監督に関する過失責任でないとすれば、代表者の行為がそのまま法人そのものの行為になるという立場にたっているものと推測される。そうだとすれば、問われている業務主たる法人の責任は、納税義務違反及び脱税行為そのものの責任ということになり、脱税に関する罰則において、脱税行為者の選任、監督の過失責任と納税義務違反及び脱税行為そのものの責任とでは後者の方が重くて然るべきであるから、脱税行為をした者が、法人の代表者であるか、その他の従業者であるかにより、法人に問われる責任の質が異なり、それ故に量刑が異なることになる。

また、前記最高裁判決によれば、行為者が従業者であった場合は、法人は行為者の選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽したことの証明ができれば、罰金刑に処せられないことになるが、行為者が代表者であった場合は、法人は処罰を免れることはできない。この意味においても、行為者が法人の実質経営者すなわち従業者であったか法人の代表者であったかによって、法人そのものの科刑上重要な差異をもたらすのである。

以上、結局、法人税脱税事件において、行為者がその法人の代表者であったか、その他の従業者であったかにより、法人に科されるべき罰金刑の量刑及び科刑そのものに影響を与えるものであることは明らかであり、本件のように、脱税行為者について、実質経営者を代表取締役であると誤認した場合、脱税をした法人に科されるべき罰金の科刑に影響を与えるものであることは明らかである。

ところが、本件の場合は、業務主責任を問われるべき法人が消滅していて法人に罰金刑が科されていないので、現実には、右に述べた意味での法人に対する罰金刑の科刑そのものに対する影響はなかったことになる。

しかしながら、本件第一審判決は、法人に罰金刑を科することができないから、法人に科すべき罰金刑を被告人全に科したものであること第三点で述べたとおりであり、また、原判決もその一四丁裏で被告人全に対する罰金は共同商事及び装美に科せられるべきであった罰金を基準にしてそれより多少低額にしたものである趣旨を述べているから、右の誤認は結局共同商事及び装美に科されるべきであった罰金の量定を通じ、被告人全に対し併科された罰金刑の量定に影響を与えているものである。

以上、第一審判決が被告人全を共同商事及び装美の代表取締役であったと誤認したことは、第一審判決のした被告人全に対する罰金刑併科に影響を与えていることは明らかであるから、何ら影響を与えなかったとする原判決は、法人税法一五九条及び一六四条の解釈・適用を誤ったものでる。

三 第一審判決が法人の実質経営者を代表取締役であったと誤認したことは判決に影響を及ぼさないという原判決は、以上のとおり、要するに法人税法一五九条及び一六四条の解釈を誤って適用したもので、正当手続を保障する憲法三一条に反する。

本件日環グループの脱税事件において、共同商事及び装美の脱税額はきわめて大きくこの二社の三事業年度に係る脱税額だけで一〇社一六事業年度に係る全脱税額の四一パーセントを占めているものであるが、第一審判決はそのような重大な事案(第一審判決は、本件日環グループの脱税に関し、装美に係る犯情が最も重いとしている(第一審判決二六丁裏)。)について、起訴されている行為者が脱税をした法人の代表取締役なのか実質経営者であるのかということは起訴状に明記されているのに、右のような誤認をして、被告人全に対し純脱税事件としては過去最高の二年六月の実刑と一億三〇〇〇万円の罰金を併科するという裁判をしたことはあまりにも安易でり、裁判の権威を失墜し、裁判に対する信頼を著しく損ね、判決全体に対する疑問をすら生じさせるものである。

このような事実誤認を判決に影響を与えていないとする原審の判断は結局法人税法一五九条及び一六四条の解釈を誤って適用したもので正当手続を保障する憲法三一条に反するものである。

第五点 第一審判決が被告人全に科し、原判決が支持した量刑は、甚しく不当であり、刑事訴訟法四一一条二号により破棄されるべきである。

第一審判決及び原判決は、上述のとおり、四点にわたり、違法、違憲、判例違反及び事実誤認を行なっているものであり、これらはすべて量刑に大きな影響を与えているものであるが、これらを除いてみても、そもそも、第一審判決が被告人全に科し原判決が支持した実刑二年六月、罰金一億三〇〇〇万円併科という刑は、以下に述べるとおり、甚しく不当でこれを破棄しなければ著しく正義に反する。

以下、租税逋脱罪の量刑について重要な要素である逋脱額、逋脱率、逋脱の手法、簿外資金の使用等の状況、逋脱税額の納付状況、他の刑法犯等との併合罪の有無、相被告人山口に対する科刑との比較等あらゆる角度から判断して、被告人全に対する科刑が如何に重過ぎて不当なものであるかを述べることとする。

一 逋脱額について

逋脱税額が租税逋脱犯の犯情を判定するに当たり最も重要な要素であることはいうまでもないことであり、被告人全の逋脱額一三億九八〇〇万円余が、きわめて大きな額であることは誠に遺憾である。

しかし、従来の逋脱犯科刑の具体例をみると、逋脱額の大きさが量刑の決定的要素でないことは明らかである。

所得税の逋脱額二六億三六五〇万円余の事案(最高裁第三小法廷昭和五五年(あ)第一四九一号、昭和五九年三月一六日上告棄却、税資刑五三巻五六三頁、いわゆる殖産住宅事件)が、懲役二年六月、執行猶予三年、罰金四億円と執行猶予付きの科刑であり、同じく所得税の逋脱額一九億九五二一万円余の事案(最高裁第二小法廷昭和五六年(あ)第一〇〇六号、昭和五八年六月三〇日上告棄却、税資刑五二巻一〇三五頁、いわゆるねずみ講事件)も懲役三年、執行猶予三年、罰金七億円と執行猶予付きの科刑となっている。この両者を比較してみても逋脱税額の大きい前者の方が懲役刑の期間は二年六月と後者の三年より短くなっている。

また、別添資料第一をみると、法人税逋脱事案についても、資料第一の四二番の事案は逋脱額四億八九〇〇万円で実刑、三九番の事案は逋脱額二億四九〇〇万円で実刑となっているのに対し、二六番事案、二八番事案、三一番事案及び五二番事案は、逋脱額がそれぞれ三億六四〇〇万円、七億二三〇〇万円、八億一六〇〇万円及び四億五五〇〇万円と、実刑とされている二件と比べて、逋脱額が大きいのにもかかわらず全部執行猶予付きの科刑となっている。

要するに、逋脱犯の処罰に当たっては、逋脱税額の大きさだけで量刑すべきではないということが言える。

被告人全についても、一三億円余という逋脱額の大きさだけから直ちに実刑二年六月という量刑にはならないはずである。むしろその他の要素について慎重に検討されるべきである。

二 逋脱率について

租税逋脱犯の量刑に当たり、ほとんどの判決が逋脱率を重視していることにはかねて敬意を表しているものである。

一で述べた別添資料第一の二六番事案、二八番事案、三一番事案及び五二番事案が脱税額が大きいにもかかわらず実刑になっていないのはそれぞれの逋脱率が五〇・六パーセント、六二・七パーセント、七九・〇及び七七・一パーセントであるのも有力な理由と考えられる。

思うに、二〇億円の納税義務のある者が五億円を逋脱した場合と、二億円の納税義務のある者が二億円全額を逋脱した場合とでは、後者の方がその刑事責任は重い。前者は逋脱率二五パーセントであるのに対し、後者は、逋脱率一〇〇パーセントで納税の意思は皆無と言えるからである。

本件被告人全の場合第一審判決は、逋脱率を七四パーセントとして量刑している(第一審判決二七丁の裏)。しかし、起訴分に限定すれば逋脱率は七四パーセントであるが、控訴趣意書で述べたとおり、起訴対象期間中の、起訴されている会社の起訴されていない事業年度分及びもともと起訴もされていない会社の分をも含めれば逋脱率は六五パーセントになる。この数字自体は原判決も認めて、それなりに意味はあるが、それでもなお高率で第一審判決の量刑が左右される程のものではない旨判示している(原判決一四丁)。

弁護人は、本件被告人全の場合、逋脱率は六五パーセントとするのが合理的であると考えるものである。被告人全は、日環グループ各社の税務申告について平等に責任をもっていたのであり、本件の査察調査の段階でもこれらの全社の全事業年度について調査を受け、その中から脱税に該当するものと脱税ではない通常の過少申告に過ぎないもの、さらに全く非違がないとして納税申告が是認されているものとに区分されているわけであるから、脱税があったとして起訴された分についての被告人全の刑事責任を問うに当たっては、被告人全の脱税意思或いは納税意思というもの全体を把握評価すべきであり、そのためには脱税分だけでなく非脱税分をも含めた、全体の過少申告率をみるべきであるからである。

現在まで、法人税法違反事件で逋脱率六五パーセントで実刑が科されている例は一件もない(七四パーセントでも実刑を科されていない)。

逋脱率六五パーセントということは、納税率三五パーセントということであるが、この三五パーセントに当たる被告人全の納税額は七億六六〇〇万円余であり、被告人全は、起訴対象期間中に、自発的納税申告により七億六六〇〇万円余の法人税を納付していたのである(原審で証拠調済)。この期間中我が国の普通法人の過半数は欠損申告書を提出し、全く法人税を納めていなかったのである(国税庁編第一〇九回国税庁統計年報書八六頁参照)が、この間、被告人全は七億円余の法人税を全く自分自身の意思で納めていたのである。

逋脱期間中の脱税額が皆無ないし皆無に近い(すなわち、逋脱率が一〇〇パーセント又はそれに近い)他の実刑事案と同様に扱うことは到底できないはずである。

三 逋脱の手法について

逋脱の手法の悪質性の程度を判定する最も重要な基準は、一般税務調査を受けたときに、簡単に発覚する程度のものか、一般税務調査によっては容易に発覚し難い程度に仮装・隠蔽等の工作がされていたかにある。

右の見地からみた場合、被告人全が相被告人山口の教示により行なった逋脱の手法は、逋脱税額そのものが、各事業年度末に当該事業年度の利益見込が算出された時点できめられていたこともあって、帳簿の改ざんや、伝票等の原始記録の操作、取引先との通謀といった、税務調査を困難にするような手法は一切用いられず、正確に計算された残高試算表の関係科目を修正するに止まるのみの誠に単純、幼稚なものであった。税務職員の調査を受ければ忽ち露見する程度のもので、計画性、巧妙性など全く無かったのである。

この点からも、他の、真に悪質な脱税事案と比較した場合、本件の刑は甚しく不当である。

四 逋脱によって生じた簿外資金の使用等状況について

法人税の逋脱によって生じた会社の簿外資金を如何に管理、費消、使用ないし利用したかは、法人税逋脱事件の情状として最も重要な点である。法人税逋脱事件の判決が量刑の事情を述べるに当たって、ほとんどの場合、その使用等の状況に触れていることは当然のことである。そして、多くの場合、会社の簿外資金を多かれ少なかれ私用に費消しているのである。

然るに本件においては、被告人全は全く会社の簿外資金を費消していない。これは法人税逋脱事件においては稀有のことで被告人にとって極めて有利な情状として斟酌されるべきであるにも拘らず、第一審判決も原判決もこのことを全く無視している。会社の簿外資金を費消した旨の認定はないから費消していない事実は認めているわけであるが、このことを全く評価せず、第一審判決は逆に、「簿外資金の一部を個人貸付の資金にまわして多額の利息収入を自己のものとし、結局、会社の簿外資金を自己のために利用した」(第一審判決二九丁の裏、この上告趣意書第一点参照)として、即ち、会社の簿外資金を費消はしていないが利用はしていたとして被告人全を非難しているのである。

被告人全が会社の簿外資金を利用したという認定は前記第一点で述べたとおり証拠に基づかないで事実を誤認したものであるから、この点に関する第一審判決及び原判決が破棄されるべきことは当然であるが、さらに、被告人全はこの簿外資金については、これを費消もせず、使用もせず、利用もせず、もっぱら会社のために善良な管理者として管理していたのであって、本件逋脱の動機は、経営基盤の不安定な日環グループ各社の前途を考え、将来の不況等に備えるためのみであったのであり、これらの点を、被告人全のために積極的に評価すべきである。この見地からすれば、被告人全に対する二年六月の実刑はあまりにも重過ぎるものである。

五 逋脱税額の納付について

脱税事件の情状として最も重要なものの一つに、逋脱税額の納付状況がある。本件の場合、査察当局から正当税額が示されるや、直ちに法人税本税を始め加算税、延滞税、さらに、関係地方税まで全額納付すべく、積極的に努力し、第一審結審時に総額で三八億円余、第二審結審時までに、更に、一億円余を納め総計四〇億円余を国及び地方公共団体に納めたのである。これら巨額の税額は、脱税として起訴されたものに止まらず、過去五年に遡り、凡そ脱税とまではいえない、通常の過少申告まで含めて、全額納付したものである。これだけ誠意を以って納税をし、会社の全財産四〇億円余を納めてもなお、二年六月の服役をしなければならないのだろうか。誠に苛酷な刑というべきである。

六 相被告人山口に対する実刑一年の科刑と比較した場合、被告人全に対する実刑二年六月罰金一億三〇〇〇万円の科刑は甚しく不当でる。

(一) 本件の犯行に関し、相被告人山口の果した役割はきわめて大きい。

税制の現状は誠に複雑難解で、個々の納税者にとって理解し難いものになっていることは周知のことである。そのような複雑な税制のもとで申告納税制度の趣旨を納税者に理解させ、法の期待する納税義務の適正な実現を図る税理士の使命はきわめて大きいのである(税理士法一条及び三六条)。税務に関し、一般納税者が税理士に頼るところまた甚大といわねばならない。本件発生当時被告人全は未だ三〇歳を越えたばかりの未熟な若輩であったが、相被告人山口は被告人全に対して六歳の年長で、しかも当時既に税理士事務所を開設して一二年を経過した税の専門家で、被告人全にとっては名実ともに「先生」だったのである。

年長でり、先生に当たる相被告人から大胆な脱税手法を教示され、それに従ったというのが本件の真相であり、まさに、本件発生当時新聞紙が形容したように、相被告人山口は脱税指南役であったのである。特に、被告人全から何らの依頼もないのに、相被告人山口は、自らの発案で納税申告に当たり東京同和会を利用することとし(昭和五九年一二月三日付被告人全の検察官に対する供述調書二項)、被告人全をして日環グループ各社には、税務署の調査は行なわれないという確信まで持たせるに至ったのである(昭和五九年一二月四日付被告人全の検察官に対する供述調書三一項)。

第一審判決も、原判決も、この東京同和会の利用という手法が本件脱税事件に与えた影響を正当に評価していない。それを正当に評価しないままで、(第一審判決は、この評価について全く触れていない。)なおかつ、第一審判決は「被告人山口が本件に関与するようになって以来、日環グループの脱税の方法が多岐にわたりかつ大規模となっていることを考えると税理士たる同被告人の関与が被告人炳城をして安易に本件犯行に駆り立てる結果になったとも評価し得るのであり、」と判示している(第一審判決三〇丁)が、東京同和会の利用の件を加味するならば、相被告人山口の「駆り立て」はさらにその悪質制を増大することになるものであり、脱税への道を「駆り立てた者」と「駆り立てられた者」との間に実刑にして一対二・五という格差が生ずることはどうしても納得できない不当なものである。

(二) ことに、被告人全には実刑二年六月のほかに、巨額な罰金一億三〇〇〇万円が併科されている。個人に科された罰金は個人が支払うべきものであるところ、被告人全には家族一同の居住用不動産を売却する以外これだけの罰金を支払う資力はない。罰金を払えないで労役場に留置されることになればその期間は、第一審判決は一日当たり二五万円の割合としているから、五二〇日即ち一年五月余になる。斯くして、被告人全に対する実刑は実質的に三年一一月余になる。相被告人山口の実刑一年に対して、被告人全が如何に不公平で重い刑を科されているかは明らかである。

七 その他被告人全に有利な事情

(一) 被告人全が統轄している日環グループの事業はサニールームというエクステリア商品の販売施工を行なっていたのであり、我が国の住宅政策に寄与する、健全な住宅産業であって、脱税事件でしばしば摘発されるトルコ風呂等の反社会性をもった事業ではないことは被告人に有利な事情として斟酌されるべきである。

(二) 被告人全が貧困な在日韓国人の長男として大阪で生まれ、定時制高校時代に父親を失い、その後は、母を助けて弟や妹の面倒をみながら一家の生計を支え、やがて、徒手空拳で上京し、質素そのものの私生活の中で韓国籍のハンディを背負いながら日夜ひたすら事業に打ち込み、異民族に対してきわめて閉鎖的な我が国社会で、多くの従業員とグループ各社の危機に備えるためついつい、金銭しか頼るものがないという考え方になって、逋脱による資金蓄積の途に走ってしまったことに、一掬の憐憫の情を得たいものである。ことに、前述のように、被告人全は、父親を高校生時代に失ったが、長い間苦楽をともにし、やがて、長く病床にあった母親は本件発生後、心痛の裡に他界し、更に、その後、実妹及び妻の父が他界していった。被告人全は、本件発生後のこれら肉親の死が決して本件発生のこれらの人々に与えた心理的なものと無関係でないことに、深い悲しみとともに、心から反省をし、二度と脱税をしないことを誓っているのである。

(三) 更に、本件発生後会社の経営も急速に傾きつつあるのであって、本人に実刑を科することは、おそらく、会社の倒産、数百人の従業員の失業をも招来するおそれがあるのである。

八 結び

弁護人は、本件脱税事件で、他の脱税事件と比べて被告人に最も不利な点は、脱税額が大きい点であると考えるものである。

しかし、前記一で述べたとおり、逋脱額が本件の倍額に近い、いわゆる殖産住宅事件等についても執行猶予の判決例がある。

さらに、本件脱税額の大きさは、逋脱率が六五パーセントと他の実刑事案に比べて格段に低いこと、現に脱税期間中実に七億円余という多額の納税をしていること、また、脱税額そのものも、加算税、延滞税ともに完納していることによって緩和されると考えるものである。脱税の手法においては、前述三で述べたとおり、通常の執行猶予になっている事件と比べても悪質性は低い。ことに、簿外資産の管理の状況については、脱税事件としては稀有ともいってよい程、被告人全にとって有利である。

これらすべての事情を考慮にいれた場合、本件被告人全に対する科刑が重過ぎることは明らかである。

第一審判決が被告人全に科し、原判決が支持した量刑は、要するに事案の個別的認定及び総合的評価を誤ったもので、これを破棄しなければ著しく正義に反することになる。

第六点 第一審判決が被告各会社に科し、原判決が支持した罰金刑の量刑は、甚しく不公平、不当であり、刑事訴訟法四一一条二号により破棄されるべきである。

一 第一審判決は善本産業以下八個の被告会社に対し罰金刑を科している。

そこで、第一審判決が各被告会社に科した罰金刑につき会社ごとに脱税額に対する割合(以下「罰金比率」という。)をみると別表のとおりで、エクステリア日環の二六・〇パーセントから日環アルミ建材の二九・三パーセントまでの格差がある。会社に科される罰金額の公平を保つためには、罰金比率と逋脱率とが相応しているかという点こそ最も重視すべきものと思料するのであるが、別表で明らかなとおり、この点からの検討は全くなされていない。即ち、逋脱率が九二・六パーセントと最も高い善本産業の罰金比率は二六・二パーセントと低い方から二番目であるのに対し、逋脱率は一七・四パーセントと群を抜いて最も低い栄進商事の罰金比率は二七・〇パーセントと高い方から三番目となっている。

さらに、各会社の罪数即ち逋脱事業年度数からみてもまことに不公平である。罪数一にすぎない栄進商事が何故に罪数二のエクステリア日環及び日環アルミニウム工業より罰金比率が高くなければならないのか。何故に、罪数一の日環住機設備の罰金比率が罪数二のエクステリア日環よりも高くなければならないのか。逋脱税額、逋脱率ともに格差があのに、何故に、栄進商事は日環住機設備と同額の罰金が科されるのか。

これらの疑問に対し合理的に説明することは不可能であると思われる。

要するに、第一審判決の被告各会社に対する罰金額は公平を欠いた恣意的なもので甚だ不当なものである。

二 右のような趣旨の控訴趣意に対して、原判決は「各被告会社に対する原判決の各罰金額とこれに対応する逋脱税額との比率を検討すると、それらは逋脱税額の二六パーセントないし二九・三パーセントの間にあるのであって、その格差の最大幅は三・三パーセントにすぎないから量刑が不当であるとはいえない。」と判示してこれをしりぞけている(原判決一五丁)。

三 しかしながら、各会社間の罰金比率の格差が三・三パーセントにすぎないから量刑が不当でないというが、二六パーセントに対し、三・三パーセントは一二・六パーセントに当たるもので決して些少なものではないのみならず、何よりもこれだけの格差が何らの合理的な根拠もなく、全く恣意的に生じていることこそ問題であって、これらの会社に対する罰金刑が不公平、不当なものであることは明らかである。第一審判決が科し、原判決が支持した被告各会社に対する科刑は破棄されるべきである。

別表

<省略>

《資料第一》

大型脱税事案に対する科刑の状況

(過去5年)

(備考)

1.懲役欄のカッコ内は執行猶予の期間を示す。カッコ書きのないものは実刑。

2.比率欄は罰金の脱税額に対する比率を示す。

3.裁判所欄は確定判決を言渡した裁判所で、地方裁判所は地名だけを掲げ、高等裁判所は東京高等裁判所は東京高のように略し、最高裁判所は最高裁とした。

4.年月日欄は確定判決の言渡された年月日を示す。

5.税資刑欄は判決の登載されている国税庁編税務訴訟資料租税関係刑事事件判決集の巻番号と頁を示す。

6.2頁の第16番事案の※1は逋脱率が101.0%となっているが、正当税額全額脱税したほかに、不正に還付を受けていたからである。

7.6頁の第49番事案には別に被告人葉山彰子の事業主に係る所得税法違反があり、懲役刑の量刑にはそれも含まれているが、法人税逋脱、所得税逋脱の何れに対しても罰金の併科はない。

8.8頁の第68番事案の法人は起訴されていないが、理由は不明である。

罰金比率(罰金の脱税額に対する比率)の総括表

<省略>

<省略>

《資料第二》

個人に懲役と罰金が併科された例

(過去約20年)

(備考)

1.資料第一の備考1から5まではこの資料第二においても同様である。

2.刑法48条2項が適用除外になっていた期間の逋脱罪については、同一法人であっても、事業年度ごとの逋脱罪に対し、個別に罰金刑が科されていたが、この資料においては同一法人の異なる事業年度分は、逋脱額、正当税額、罰金額とも、合計したうえで比率を算出してある。

3.1頁の第5番事案及び第10番事案並びに5頁の第43番事案の法人並びに4頁の第37番事案の大栄興業(株)及び5頁の第45番事案の(株)親和製作所は起訴されていないようであるが、その理由は不明である。

罰金比率(罰金の脱税額に対する比率)の総括表

<省略>

<省略>

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